けんさく先生の日記

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2023.07.02

山陰労災病院の話し

 とうとう7月になりました。7月1日付けの新聞に山陰労災病院の新診療棟の完成がニュースに出ています(山陰労災病院の新診療棟完成 きょうから本格運用 | 日本海新聞 NetNihonkai (nnn.co.jp)※記事は会員制です)。たまに救急搬送の同乗で労災病院の新棟の救急外来に行かせて頂くことがあります。私のような方向音痴には旧棟と新棟の位置関係が分からず、帰りに迷子になったりすることがありますが、旧棟が取り壊されるまではそういった事態が続くかもしれません。

 父と私は労災病院とは微妙に縁があります。昭和38年に山陰労災病院は開院しましたが、当時の鳥取大学第一内科から私の父が派遣され、設立時の最初の医師、内科医として勤務しておりました。私は以前にもブログに書きましたが、山陰労災病院の卒後初期臨床研修制度の一期生でした。私の前の年までは、医学部を卒業するとその大半は、希望する大学の各診療科(消化器内科、循環器内科の各内科や外科、泌尿器科、皮膚科、耳鼻咽喉科など)にそのまま配属するのが普通でした。しかし私の卒業した年から卒後臨床研修制度が義務づけられ、2年間、各内科、外科をローテーションすることが必須となり、山陰労災病院も初期臨床研修医を初めて受け入れることになりました。産婦人科、小児科もローテーションが義務づけられてましたが、当時の労災病院にはありませんでしたので、それに関しては博愛病院や医療センターに行って研修させていただきました。

 とにかく何も出来ないやつでしたので、先生や看護師さんもどう自分を扱っていいか分からないし、自分自身もどう振舞ってよいか分からず毎日失敗ばかりでしたが、常に頼りがいのある先生方の背中ばかりみてました。今なら分からないことはネットで論文等を検索して勉強してますが、その時期はまだネット環境もよくありませんでしたので、先生方のやっていること、言ってることを常にメモして、それを仕事が終わってから夕方見直したり、夜中に教科書を読んだりする日々でした。労災病院の今の研修医がどんな生活を送っているか分かりません。私の送った研修医生活はテレビでみるような有名病院の研修医の生活とは全く異なり古くさいものでしたが、振り返ってみると今の自分にとってそんな無駄ではなかったように思います。

 本当は研修医時代の恩返しをするつもりで労災病院で勤務医を終えたかったですが、それは叶いませんでした。今はお世話になった先生方が大分退職され、病棟も変わってしまいましたが、母校のような気持ちを労災病院には持ってます。もう少しコロナ感染症が収束したいつの日か、機会があれば是非新しい労災病院をじっくり見学しに行くのを楽しみにしてます。

 

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